サッカーの読みもの

サッカーの基礎的なこと、Jリーグ、世界のサッカーを語る

サッカーの監督を「他の仕事」に例えるなら…

いくら良い具材を集めるセンスがあっても…>

 

 サッカーの監督は言ってみれば、料理人と同じだろう。

 

 食材の旨味をできるだけ引き出し、隠し味などを加えてひとつの料理を完成させる。サッカー風に言うなら、「選手の能力」をできるだけ引き出し、「戦術的な要素」を加えてひとつの「チーム」を完成させる、になる。

 

 いくら良い具材を集めるセンスがあっても、その具材を上手く調理できる腕がなければ一流の料理人とは言えない。

 

 例えばレストランで料理を出されたとして、お客さんがそのレストランの評価をどこで決めるかといえば、間違いなく“料理の味”だ。料理が不味いのに、ここは良い具材を使っているからという理由で再びそのお店に足を運ぶ客は絶対にいない。出された料理が上手いか、不味いかの二者択一でしかないのだ。

 

 サッカーも同じである。監督がいくら良い選手を集めたとしても、良いチームができるとは限らない。今季のJリーグで言えば、FC東京大久保嘉人、髙萩洋次郎など代表クラスを複数補強しても、チームの完成度はいまひとつ。正直、篠田善之監督は選手の持ち味を出し切れていない。でなければ、大久保が「もっと攻撃のところでチャレンジしてほしい。このままでは今までと変わらない」とメディアに向けて愚痴ととれるような発言をしないだろう。

 

<03-04シーズンモウリーニョは“最高のシェフ”だった>

 

 一方で、03-04シーズンのチャンピオンズリーグアウトサイダーポルトを優勝に導いたジョゼ・モウリーニョは当時、リカルド・カルバリョ(元ポルトガル代表)などそこまで世界的に有名ではなかった選手をしっかりとまとめあげ、本当に素晴らしいチームを作っていた。

 

 限られた食材でも最高級の料理を作るシェフはいるわけで、それと同じようなことをモウリーニョはやってのけたのだ。自らの戦術によって選手の能力を最大限に引き出す──。ある意味、当時のモウリーニョは最強の監督だった。

 

 なかには監督の“味付け”によって人生が変わる選手もいる。そのひとりが、浦和の武藤雄樹だろう。仙台時代はパッとしなかったが、15年に浦和に加入すると、攻撃サッカーを標榜するペトロヴィッチ監督の下で覚醒。リーグ戦で15シーズンは13ゴール、16シーズンは12ゴールと得点を重ねるようになったのだ。

 

 食材をいかすも殺すもシェフの腕次第。サッカーも同じように、選手を生かすも殺すも監督の手腕次第なのだ。